iPadで利用できるような電子百科はないのかなと思いたって検索をしてみたら「Yahoo百科事典」というのがありました。
随分前からあるコンテンツだったと思いますが、存在自体を忘れていて、これまであまり利用したこともなく、少し散策してみることに。
最初になにげなくクリックしたのが「日本史近現代」ディレクトリの「新しき村」という項目。
実に興味深く、また、いまだ村が存続しているということなので調べてみる。2世帯ほどの方々を中心に活動をされているご様子。
なにかしら書物に触れたことはあると思いますが、武者小路実篤についてどういう作家だったか思い出せず、また長きにわたって受け継がれているその思想的な面に興味が出て、Wikipediaで検索。
随分前からあるコンテンツだったと思いますが、存在自体を忘れていて、これまであまり利用したこともなく、少し散策してみることに。
最初になにげなくクリックしたのが「日本史近現代」ディレクトリの「新しき村」という項目。
1918年(大正7)11月、宮崎県児湯(こゆ)郡木城(きじょう)村(現、木城町)に武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らの推進により創設された理想主義的な集団。内心の要求に忠実に、互いに自己を生かすべく武者小路の呼びかけに全国より多くの青年が参加した。『赤い鳥』とともに大正期(1912~1926)の思想、文化の有力な反映といえる。日向(ひゅうが)に土地を決めるより前に、武者小路は機関誌『新しき村』を創刊、『白樺(しらかば)』に注入した同じエネルギーをここで発揮した。この運動に対して『白樺』内部からは有島武郎(たけお)の理解を込めた批判、当時の社会主義者たちからはその桃源郷的な発想に対する根本的批判などもあったが、武者小路はあくまでも向日的姿勢を堅持した。ここで彼は『幸福者』『友情』『第三の隠者の運命』『人間万歳』などの代表作を書く。村の発展には幾多の困難も伴い、武者小路は大正末に離村、しかし杉山正雄(1903―1983)らの力で継続された。杉山は、武者小路家の養子となり武者小路姓を名のる。
また昭和に入って1939年(昭和14)埼玉県入間(いるま)郡毛呂山(もろやま)に「東の村」を開設、第二次世界大戦後は渡辺貫二(1911―2005)らが努力、完全に自活できる体制をつくりあげている。1948年「東の村」は「財団法人新しき村」となり、水田や果樹園に加え養鶏が始まった。村内会員は50名を超え、1979年には、武者小路実篤の書画、書簡、著書等を収めた「武者小路実篤記念 新しき村美術館」が開館した。その後、村内会員の高齢化がすすみ、1990年代以降、会員は30名前後となっている。
実に興味深く、また、いまだ村が存続しているということなので調べてみる。2世帯ほどの方々を中心に活動をされているご様子。
なにかしら書物に触れたことはあると思いますが、武者小路実篤についてどういう作家だったか思い出せず、また長きにわたって受け継がれているその思想的な面に興味が出て、Wikipediaで検索。
買い物ついでに立ち寄った近くのショッピングセンター併設の図書館で「人生論」という古い文庫本を手に。
理想主義そのものにはさほど興味はないけれど、ここ1~2年、「人間のありかた」のようなことに関心があり、思わず読みふける。
借りようとするが、区画が違うので借りて帰ることができず、やむなくそのまま図書館からスマホでAmazonに発注。
戻って青空文庫でも白樺派の古典なども読み漁る。有島武郎など読了したものもあり、インスピレーションの向く方向はやはり同じになるんだなと感心。
ちょっとした1クリックでここ数日の行動が少し変わってしまいましたが、これもなにかの運命、しばらく身を任せて、興味のむくがまま、本に触れていこうかと思います。
読書の秋。
読書の秋。
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