点と点


さて、スティーブ・ジョブズ氏の死がなぜこうも喪失感を生むのか、ということが、あちこちで話題になっているようです。

もちろん個人的に面識がある訳でもなく、氏を特に盲目的に崇拝していたようなこともありませんので、普通なら、よく知る著名人が亡くなられた、というような印象の筈ですが、今回は僕自身ただらない喪失感を覚えています。

例えば、間違いなく僕の青春のアイコンの一部だった忌野清志郎さんが亡くなった時も泣きましたし、大きな喪失感がありましたが、その時とはまったく違います。

昔、大学卒業式の有名なスピーチの日本語訳を読み、深く感銘を受けましたが、だからといってiPhoneやiPadを触るときにスティーブ・ジョブス氏個人に想いを馳せるようなことは特にありませんでした。

アップルの製品は魔力的です。
道具としての便利さや合理性以上に、所有し、触れていること自体に快楽的なものがあります。特にジョナサン・アイブ氏がスタッフになってから以降の製品について、そういう側面が顕著です。デザイン、機器としてスペック、ソフトウェア、サービスそのどれも見事な完成度を持って高い次元で融合しています。

今回、スティーブ・ジョブス氏が亡くなられた事を受けて、氏の功績に触れる機会が一気に増しましたが、その中でも興味を引いたのは、ジョブズ氏とアイブ氏がとても意気投合していたという話でした。

恐らくジョブズ氏の思い描く世界感と究極とまで言われるミニマルな美しさをアイブ氏が具象化していたためだと思います。ソフトウェアやUIの秀逸さと相まってアップルの製品が人々を魅了し心酔させる理由の多くをこのことが占めるのだと思います。

アップルの製品によって、知りたいと思うことをすぐに知り、聞きたいと思う音楽をすぐに聴き、話したいと思う相手にすぐ話ができ、学びたいと思うことをすぐに学び、記憶に留めたいと思うことをすぐに留め、知って欲しいと思ったことはインターネットを介してすぐに知ってもらうことができます。

まさに魔法としか思えません。
子供やお年寄りの方が初めてiPadに触れて目をまん丸にして驚くのもよくわかります。まるで未来にでもいるような感じで、私自身のライフスタイルも明らかに変わりました。
いまはそうでもないですが、デザインの仕事を生業としているため、仕事の上でもMacintoshのない世界など考えられないような環境でこの10年ほどを過ごしてきました。

もし、ジョブス氏がこの世に存在しなければ、この私のライフスタイルの変革も今の仕事もありえませんでした。それらがなければ全く違った人生になっていたと思います。
そしてジョブズ氏の死後、これらのアップルの製品が、ジョブズ氏のただならぬ信念や熱意、そして哲学的な思想が生み出した結果であるという事実を、これまで以上ますます知るに至っています。

私の感じているこの大きな喪失感は、私の人生をある側面から支え、ライフスタイルを違ったものにしてくれた、その「魔法のような道具」が、今後同じ品質で、同じような革新性を持って登場することがないのでは、という「不安」であることが解りました。


なんといいますか、未来を少し明るくしてくれる、絶対の信頼をおいていた魔法使いがいなくなったのです。


仏教的な言い方をすると、今の私が「因果」の「果」だとしたら、よい果」を生む「 「因」の1つが失われ「因縁」の「縁」が変化したことの喪失感です。

アップルの今後にもちろんとても大きく期待していますし、信頼もしているのですが、これまで以上の「因」にはなりえないだろうという喪失感。
ジョブズ氏が禅宗に通じていることを今回改めて知るに至りましたが、まさに命や人生は無常、失ったものをそのままの形で補うことはできませんが、また新たな「因」「縁」が生まれ、巡り会えることを祈ります。

点と点がいつか繋がっていくように。

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